おれと時々ねこのブログ

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弾平

僕は小学生の時、ドッジボールというマイナースポーツをやっていた。休み時間に運動場でやるやつじゃなくて、公式のスポーツとしてのドッジボールだ。あまり知られていないと思うのだが、そんなのがひっそりとあるんですよ。公式ルールにはパスは5回以上連続でしてはいけないとか、一度試合が止まったら(コートの線を越えて相手チームにボールが渡った時など)ボールを上に掲げて、審判の笛が鳴ったらゲーム再開など、なんかスポーツっぽいルールがあります。
ちなみによく間違えられるのだが、ドッチボールではなくドッジボールなのでご注意を。僕は友達がドッチボールって言ってたら「ドッ"ジ"な!お前はその辺の草でも食っとけよ。」って威張ってましたね。

そんな僕もはじめは本気のスポーツとしてドッジボールをやるつもりなんてなくて、休み時間にやるドッジボールかな?と思って見学に行った。仲の良い友達も多かったし、楽しそうだなと思って入ることになったのだが、入ってみたら練習は厳しいし、なにより監督がめっちゃ怖かった。だって監督は怒ると普通に小学生の僕たちをビンタで殴ってくる。かなり強いビンタだったので、あれはもう張り手やね。口から血が流れたり、鼻血を流したりなんてことも珍しくなかった。しかもたまにではなく、頻繁に殴る。今の時代では考えられないことだ。てか俺の時代でも「え、この時代ってまだ暴力残ってるん?」って思ってたよね。ま、僕は愛嬌があったおかげか比較的殴られる数は少なかったが(それでもメチャ殴られてるよ)、ピグモンみたいな顔の友達はめっちゃ殴られてた。「さすがにこいつ殴られすぎやろ」と思ってましたね。

もうねぇ、、とにかく監督が怖くて怖くて。試合中にめっちゃ監督の顔色伺ってたわ。ちょっとでもミスったら「うわぁオレ絶対この後殴られるやん...」って思いながらプレーしてた。しかも僕はミスを恐れてか、ボールを投げる時に力が入らなくて、イップスみたいな感じにもなってた。ほんとに強いボールが投げれない。自分にボールが渡ったときめっちゃ怖かったもん。ディフェンス(ボールを取ること)はめちゃうまかったけどね。

それだけ厳しいこともあって、チームは強かった。地元の兵庫では1番強いチームで、兵庫県大会は優勝が当たり前。兵庫大会の後は各県の代表が集まる全国大会があるのだが、上の代の先輩は全国大会でも3位とかまでいってた。俺らの代は全国大会では予選落ちまでしか行かれへんかったけどね。小学生のドッジボールとはいえ、めちゃくちゃパス回しも球も速いからね。普通にドッジボールやったことない大人のグループでは勝てんよ。俺のお父さんも普通にボール当てられて、アウトなってたわ。ボールも結構硬いし、顔とかに当たるとめちゃ痛い。相手チームにも身長でかくてアホみたいに速いボール投げるやつおったから、そんなやつと対戦するときはどんだけ試合経験があっても怖かった。ボールが速くて怖いのもあるし、負けたり、ミスしたら殴られるかもしれんしね。

これがドッジボール公式球。柄バレーボールやんってずっと思ってました。バレーボールよりちょっと大きくて硬いけどね。「molten」と「mikasa」っていうメーカーのボールがあって、moltenはツルツルしてる、mikasaはちょっとマットな感じで滑りにくいってイメージでしたね。野球で言うと、moltenMLB公式球でmikasaはNPB公式球みたいな感じですね。

こんなん聞いてたら「辞めたらええやん」って思うでしょうけど、チームを辞めるのは悪みたいな風潮もあって、最後まで辞めれなかったっすねー。僕は一時期普通に仮病で休みまくってたけど、あれなぜか許されてたな。俺がかわいかったからやろなぁ。
最終的には監督は暴力が原因で解任させられてた。親に「監督が辞めるって言う話になってるけどそれでいい?」って聞かれて即答で「うん」って言いましたね。すると「他の子らは今の監督がいいって言ってるけど?」って言われて「なんでやねん」って思いましたね。みんな監督に逆らうのが怖かったんだと思います。中学生に上がってから、みんなで「まじ怖かったよな」って笑い話にしてたね。

監督が辞めてからは普通に楽しかったし、ノビノビとプレーできるようになった。ほんまに恐怖政治はあきませんよ。俺は委縮してダメでしたわ。でも根性あるやつは力を発揮できていた。メンタル強くて尊敬しますわ。ちなみにドッジボールやってた友達はみんな根性があったので、先輩も同級生も中学校ではほとんどがちょっと不良になってましたね。バリバリの不良ではないけど、ちょっと悪くて学年でも上位グループみたいな感じ。一方の僕は悪いより面白いやつの方がイケてると思って、授業の答えも大喜利みたいに全部ボケて答えてたらめっちゃ女子に嫌われましたね(ボケじゃなくて実話)。